店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ワタクシ、ニューハーフを一時やめて男優の勉強をしていたことがございました。ニューハーフとして東京のとある芸能事務所の研究生になったのですが、事務所の社長から「ニューハーフの役なんて仕事はそうそう無い、まず男優として軌道に乗ってから自分の好きな格好をしろ」と言われたからでございます。今から30年くらい前のことでございます。
髪の毛を短く切りまして、オッパイにはゴムベルトを巻きまして、さぁ男優への挑戦でございます。ワタクシ、高校や大学の演劇部では男優でしたから、出来ないわけじゃない。ただねぇ、これがねぇ、背が低くて、ナヨナヨした、とにかく中途半端な男性になってしまう。ニューハーフの役も来ないけど、背低(ぜびく)のナヨ男性の役なんてのも、これまたそうそう無いのでございます。
宝塚歌劇団でもまず身長で男役と女役が分けられるように、舞台では「身長」というエレメント、重要でございます。他の男優さんや女優さんと並んだ時に、絵にならない。身長160cmのワタクシ、シークレットブーツを履いて頑張っておりましたが、身長の差は決定的に不利でございました。
ここでね、もしワタクシが、身長の高さに憧れ、身長の高い人と同じような演技をしても滑稽なだけでございます。これが「他人の時計を覗く」ということの、ひとつの意味なのでございましょう。自分の資質を客観的によく見知り、他人と比較せず、自分の物差しで自分を磨き込んで行けということなのでしょう。
また、舞台の世界ってのは、「同じ事をやっているのにソイツだけいつも目立つ」って人が必ずいるものでございます。「華(はな)」と言うか、生まれ持ったオーラと言うか、天分の才能と言うのでしょうかねぇ。努力だけではどうにもならないものが、人気商売に必ず有るのでございます。
この結果、悲しいことに、「主役に向いている人」「脇役に向いている人」というのに必ず別れてしまう。脇役向けの人が主役を目指して花が咲くという例も無いわけではないですが、脇役向きの人が脇役に徹して名脇役として名を残すことの方が圧倒的に多いものでございます。
先ほどの身長の話とも少し重なりますが、生まれ持った才能を自分のもの自分の運命として受け入れ、他人の才能に憧れず、恨まず、というのが、「他人の時計を覗かない」ということのまたひとつの意味なのかも知れません。
そしてもうひとつ、人生の中で大成するタイミングというのは、人それぞれでございます。本人の資質、天分の才能も大きく関係してきますが、大成には「出会い」というものが必ず関わってくるのでございます。人との出会いかも知れませんし、機会との出会いかも知れない。その出会いがいつ来るか、それは運命の神様のみが知るところなのでございます。
ですから、若くして大成する人もいれば、晩成の人もいる。晩成の人が次々と自分を追い越していく他人の成功に焦り、惑わされ、諦めたり腐ったりすると、いざ「出会い」が起きた時に準備不足になって千載一遇のチャンスを逃すかもしれない。