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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-07-25 【「感動」がツボなのです】

昨日、月間予定表の表示方法が変わったことをお知らせいたしましたが、もうひとつ、書き忘れたことがございました。オフィシャルサイトの「システム・予約」のページ、「予約の入れ方」の欄が、内容を更新しております。

ちょっと前から長期予約が出来る様になっておりましたが、オフィシャルサイトのこのページの記載に「予約は1週間前から~」という記載がまだ残っていたために、律儀にそれを守られるお客様がときどきいらっしゃいました。以前より更新しなければと思いつつ、やっと更新した次第でございます。

では、本日の主題。今日の『クローズアップ現代』のテーマが「つながり孤独」でございました。「つながり孤独って何かなぁ」と思いながら見ておりました。どうも、「ネットで大勢と繋がっているにも関わらず感じる孤独感」というものだそうでございます。

ワタクシは、自分のメールマガジンの購読者数を極力見ないようにしております。また、お店のホームページへのアクセス数も、確認したことがございません。気になりますよ。でも、一度見始めると、その数字の上がった下がったに取り憑かれ、疲弊してしまう。だから見ないようにしております。

最初は数字を見ておりましたよ。でもね、その数字が増えたり減ったりする度に、「あぁ、昨日のあの言葉がいけなかったかな」とか「この話題はまずかったかな」とか、いろいろ考え込んでしまう。購読者数の増えたり減ったりというの、意外と心的ダメージが大きいのでございます。

それで、ある時から全く気にしないようにいたしました。とにもかくにも、「自分が納得出来るものを提供すれば良い」という考え方。こう考えることで、地に足が付くようになったのでございます。まぁ、たまにお叱りや間違いを指摘するメールをいただいて軌道修正することがございますけどね。

今、世の中の多くの人が、ツイッターやフェイスブックで自分の情報を発信しております。フォロワー、つまり自分の記事を購読している人は多いけど、自分が掲載した記事に対する反応はまったく返ってこない。そして「いいね」の数に一喜一憂して疲弊していく。これがクローズアップ現代言うところの「つながり孤独」なのでしょうね。

ワタクシ、若い頃から音楽や演劇をやっておりますが、「反応を得る」っていうのは並大抵のことではございません。何かしらの反応をもらうためには、そこには必ず「感動」が必要でございます。その「感動のツボ」ってのが難しい。意図して出来る場合もあれば、まったく予期せぬことが人に感動を与えていたりすることもございます。

逆に、表現者が「感動」を意図的に狙いすぎると、それは「あざとい」表現となり、かえって観客が「引く」ということにもつながります。つまり、感動欲しさに観客に媚びていくと、表現者はどんどん浮き上がって迷走する羽目になるのでございます。

そんな「感動のツボ」を追い求める表現者に要求されるのは、「内省」という作業。自分の表現を客観的に見つめ、ひたすら自分に問い続けるという孤独な作業。その内省で得たひとつの解答を、自分にフィードバックさせていく。人を感動させる作業というのは、こんな孤独で終わりの見えない作業が、舞台以外の場所で延々と続けられているのでございます。

こんな、重たく、先が見えない、孤独な、「感動させる作業」に比べたら、ネットのSNSで行われている「いいね」なんて、実に表層的。「感動」とは程遠いものでございます。にも関わらず、多くの人がその数に感動したり失望したりする。完全に、数字に踊らされているのでございます。しかし、もとより表層的なもの、孤独感にさいなまれるのは当然でございます。

先日亡くなられた「浅利慶太」さんの言葉に、「他人の時計を覗かない」という語がございます。舞台に立つ人っていうのは、他人と比較してもしょうがない。自分の身長や容姿・雰囲気などで、自(おの)ずから貰える役というのが決まってくる。人と比較し人を羨(うらや)んだところで、自分のキャラが変わるわけではない。結局、自分の時計だけを見つめ、自分に回り来た役をベストにこなすということになるのでございます。

SNSで大勢と繋がっているのに孤独感を得る、こういった人達は、他人の時計を覗きすぎているのではないでしょうか。他人の上っ面なあざとい時計と自分とをついつい比較し、「感動」の伴わない社交辞令の「いいね」の数を競い合う。感動がなければ、実感がなく、淋しくなるのは当然。

そんな人は、「他人と全く比較しないようにする」というのはどうでしょうか? それでも孤独感は続くかもしれません。でも、そんな自分の孤独を愛してみましょうよ。その孤独から生まれるのは「感動」かも知れません。その感動が他の人との「真の繋がり」を得ることになる可能性も...どうです、その方が、よっぽど明るい未来でしょ。では、では。


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