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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-02-02 【想い・儀式・差別】

そろそろ節分でございます。節分で思い出すと言えば、「恵方巻き」、でしょうか? コンビニの棚がビッシリと恵方巻きで埋め尽くされることもございましたが、最近はどのコンビニも控えめでございます。一時期のブームは、過ぎ去ったのでしょうか。

世界的なチョコレートメーカーのゴディバが、日本経済新聞に意見広告を載せました。「日本は、義理チョコをやめよう」とのメッセージ。どんな真意があるのかと思いや、どうも、この時期になると、「義理チョコという儀礼」に心を悩ます女性が多いとのこと。そういった女性を救済しようということらしいのでございます。

今でこそ面倒くさがられる義理チョコですが、その義理チョコが”発明”されたころは、この「義理」という立ち位置が重宝がられたのでございます。「特別な感情は持っていないけど、疎んじているわけでもないよ」という日本人的な曖昧表現には、ピッタリだったのでしょうね。

恵方巻きも義理チョコも、最初は面白がられてブームになる。しかし、ある時点から面倒くさがられてブームも下火になる。ブームの頃はその行為に「想い」が乗っている。しかし、いつしか「儀礼」「儀式」「社交辞令」という一面が強くなると、それが面倒くさくなる。「想い」が乗っているかどうかが、境目のようでございますね。

ただねぇ、ゴディバの広告の「~をやめよう」という言い方、これは気になる。義理チョコと言えども、それを好きでやっている人も大勢おりますのでね。ゴディバのこの言い方では、「大きなお世話だ!」と少し言い返したくもなるのでございます。「~をやめてみたら?」くらいの柔らかい表現なら、また違っていたでしょうね。

「好きでやっている」と言えば、今、話題になっているのが、F1のレースクイーンの廃止問題でございます。レースクイーンっていうのはどうやら和製英語のようでして、正式には「グリッドガール」と言うそうでございます。こちらも発表後から、賛否両論でございます。

女性差別だということで廃止の流れになったようですが、グリッドガール本人達の意見は、「私たちは好きでやっているのだから」ということ。強制的にやらされていることなら廃止も致しがたないとは思いますよ。でも、「あそこに立ちたい」という想いを持つ多くの女性がいて、その中から選ばれた人のみが採用される。差別というよりは、むしろファッションモデル的なポジションだと思うのでございます。

F1のグリッドガールを廃止するのなら、ボクシングの看板娘(ラウンドガールと言うそうです)も廃止になっちゃうのでしょうか。ボクシング、味気なくなりそうでございます。ラウンドの合間のあの美女は、さしずめ、激辛カレーの福神漬けに例えましょうか。辛さの中にときおり挟み込まれる甘さ、それが辛さをより引き立てるというものなのですけどね。

心理学的に言うと、グリッドガールやラウンドガールに美女を使うのは、それが「闘争心を煽る」効果があるからだそうでございます。一見、荒々しい戦いと美女との組み合わせがミスマッチの様に思えますが、実は、カレーと福神漬けの様な名コンビの関係の様でございます。

グリッドガール問題も、その当の本人の「想い」が伝わらず、いつしか「儀式」として受け止められていたのでございましょう。でしたら、その「想い」を伝え治せば良いだけなのですが、なぜか「廃止」という極論に達してしまう。この、こと「差別」がらみの問題になると、みんなが過剰反応してしまう風潮、これも、どこか、本当の「想い」を見失ってはいませんかねぇ。では、では。


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