店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
昔、『ペットセメタリー』という恐い映画をたまたまテレビの深夜番組で見てしまい、夜中にガクガクブルブルした覚えがございます。セメタリーというのは、教会に属さない共同墓地という意味。今日は、キリスト教の動物の扱いに関するお話でございます。
ちょっと前のニュースで、スイスでは、生きたままのロブスターを熱湯に放り込むのは残酷だとして、「ロブスターは気絶させてから熱湯の中に入れるべし」という法律が可決したそうでござございます。いかにも、キリスト教らしい法律でございます。
気絶させていても、放り込んだときに目を覚ますだろうとは思いますし、そもそも、食べてしまうことは残酷では無いのかと思ったりするのですけど、そこはキリスト教、食べる物は神様の恵み、神の許しが有るかどうかが重要なのでございます。まぁ、ロブスターを気絶させるっての、免罪符なんでしょうね。
日本の「いただきます」は、調理した人への感謝、そして、その食べ物のために命を捧げた動物への感謝とも言われております。動物への感謝というのは近年の後付け理由かも知れませんが、それに関わらず、日本には食材となる動物を「供養」する慰霊碑が古代から多いのでございます。
これは、全てのものに神様が宿るという考えから、人間と動物とを同一に考える宗教的思想から来るのでしょうね。キリスト教も食事の前にお祈りをしますが、あれは動物への感謝ではなく、神様への感謝でございます。キリスト教では「人間と動物は一線を画するもの」という「人間中心主義」の立場を取るのでございます。
冒頭で「セメタリー」という語が出てきましたが、教会に属す墓地には「churchyard」という別の単語があるようでございます。この区別をはっきり付けているのは、動物は教会の墓地には埋葬出来ないから。必然的に、キリスト教徒とペットが同じ墓地に埋葬されるというのは不可能なのでございます。そもそも、ペットのためにお墓を作るというのは、かなり日本的な行いの様でございます。
日本では、人間とペットが同じお墓に入るというのは、かなり自由なようですね。そして、前述しましたが、食材となってしまった動物までをも慰霊するというのも、かなり日本的。海外ではほとんど例が無いと思います。この人間中心主義のキリスト教と、人間と動物とを「同じ命」と考える日本的な考えとの差は、時として、海外との軋轢(あつれき)になったりするのでございます。
捕鯨問題・イルカ漁問題も「残酷な殺し方」ばかりが注目を浴びてしまい、日本人の鯨やイルカの「命への想い」は全く海外には伝えられていないのでございます。と言いますか、日本人がいかにそれを説いても、海外では全く理解されないはず。理解する下地が、海外には全く無いのでございます。