店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ニュース映像を見るに、う~ん、詰めが甘い。というか、単なる目立ちたがり屋で終わってしまっている。「子連れ」というのなら、せめて籐(とう)製の乳母車に子供を乗せて来る位にはやって欲しかったところでございます。
まぁ、乳母車はオーバーとしても、子連れを主張するのなら、背中に負ぶわなきゃ。昔の母親ははみんな、子供を背中に背負って仕事をしたのでございます。と言うワタクシの母親も、ワタクシを背負ったまま仕事をしていたとのこと。当時は、そんなの当たり前だったのでございます。
ちょいと話がズレますが、母親がいろいろ仕事をした中で、唯一ワタクシを背負わずにやった仕事がございます。病院の厨房に住み込みで働いたときでございます。熱い物も有る、火も使う、ということで、寝入ったワタクシを置いたまま、早朝、厨房に入っておりました。
目が覚めると母親が居ない。子供ですからね、寂しくて、母親の働く厨房にトコトコと向かっちゃうわけでございます。するとですねぇ、母親に、「来ちゃため」とばかりに、思いっきり叩かれる。その叩き方がハンパない。木の桶のタガが外れてバラバラになる程に叩かれる。
目が覚める。泣きながらトコトコ。叩かれる。これがほぼ毎日のように繰り返されたわけでございます。自分の子供に火傷をさせないための母親の愛情なのですが、この時の記憶が、その後、ワタクシが成人になるまでのトラウマとなっちゃったのでございます。ニューハーフになっちゃったのも、これが原因かなぁと、今、しみじみ思い出したりしております。
閑話休題、熊本市議会の女性議員のパフォーマンス、大事なことを忘れている。「共感」でございます。他の議員や市民から、「あぁ、もっともだ」と感じさせなければ何の意味も無い。ただ、ワガママぶっこいて、人を困らせることで一時の優越感を感じているだけ。「あ〜ぁ、これだから、女はぁ」って言われておしまいなのでございます。
子供を背負って仕事をするということが、もっと市民権を得てもいいとは思いますよ。ただ、背負ったまま市議会の討論というのは、非現実的。というか、あまりにも「熊本市」がみっともない。託児所のひとつも用意できないのかと思われるわけでございますからね。
では、今回、この女性議員はどうすべきだったのか。まず、パフォーマンスの「ゴール」を決めなきゃだめでございます。議会場に託児所を作りたいのか、あるいは子連れで仕事をすることを世間一般に勧めたいのか、あるいは本当に自分の席のすぐ横に子供を寝かせておきたいのか。
ゴールを決めた上で、「根回し」でございます。「こういうパフォーマンスをします、目的は○○です」と必要最小限な人に申し伝えておく。そして、パフォーマンス実行でございます。当然、現場で問い詰められる。問い詰められたら、ほんのちょっとゴネて、あっさり引き揚げる。これがコツでございます。
この「潔い引き揚げ」、重要でございます。熊本の出来事なんて、よほどの事でない限り全国的なニュースになんかなりません。でもね、その「よほどの事」が起きれば、ニュースになる。パフォーマンスとしては、それで大成功でございます。現場で必要以上にゴネて反感を買うとか、完全に逆効果なのでございます。
パフォーマンス後、当然、大手のメディアが取材に来る。その時、本来のゴールを理路整然と語ればいい。自分一人で全国的にメッセージを発するというのは、とても大変な事。でも、メディアの方で取材に来てくれれば、あっという間に全国的な話題になる。そして、「あぁ、彼女の主張ももっともだね」と共感する人も、全国規模で現れてくるやもしれない。