店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
お店終えて、自宅へ戻り、お風呂に入った後、おもむろにテレビの録画を見ておりました。NHKの音楽番組『SONGS』、出演は「竹原ピストル」さん。この番組、男性が出演の回はあまり興味が無いのですけど、女優の吉岡里帆さんがナビゲーターということもあり、ちょっと興味深く見ておりました。
気がつくと、30分の番組を3回もリピートしておりました。甘く芯のある声ながら、ややノイジーで、大量の息を吐きながらの熱唱、ビートたけしさんにも似たその歌い方は、ワタクシの琴線にドンピシャでございました。
吉岡里帆さんが上京直後、オーディションになかなか受からずに悶々としている時期、竹原ピストルさんの「東京一年生」という曲に勇気をもらったそうでございます。ワタクシにも、”上京一年生”という時期がございましたから、なんとなくその気持ち、共感するのでございます。
ワタクシの、”1回目”の上京一年生は、バブルの崩壊とともにあっさり終焉を迎えました。スポンサーとして応援してくれていた人が、ある日突然、事業失敗で失踪。東京で一文無しになり、レッスンとかオーディションどころでなくなり、尻尾を巻いて名古屋に逃げ帰って参りました。
それから2年後に、東京へ再チャレンジ。でも、所属していた事務所にも、かつて通っていた演劇学校にも、自分の居場所はまったくございませんでした。ショーパブで働きながら、タバコとお酒の香りにむせるショーパブの舞台で、「居場所はあるんだ」といつも自分に言い聞かせておりました。
名古屋のガチャガチャとした接客に染まっていたワタクシは、東京の気取った接客になかなか馴染めませんでしたねぇ。ショーパブの舞台も、やはり気取っている。何をやっても「悪目立ち」すると言われる。一生懸命やればやるほど、言われる。そんな焦燥感の中で、風俗に移行。その後、名古屋へ戻ることに。2回目の東京一年生は、約5年の月日でございました。
竹原ピストルさんは、歌います。「暮らしづらいのは街のせいじゃない、暮らしづらいのは大丈夫、夢があるからさ」と。ワタクシにとって、東京は、いつも、いつも、暮らしづらい街でございました。夢があったからでしょうか。でも、東京にいて、「夢を捨てる」という選択肢はございませんでした。夢を捨てたまま東京にいたら、多分、敗北感でペシャンコになっていたことでしょう。
東京に居た頃、東京出身の人が羨ましくてしょうがありませんでしたね。地方から上京するというのは、それだけで大きなハンディを背負っておりますから。でも、夢破れて地元へ帰るとき、「あぁ戻る場所が有って良かった」としみじみ思ったものでございます。
若い頃の夢は破れても、今は、別の夢を持ち続けております。例えば、お客さまに幸せな一時を過ごしていって欲しいとか、あるいは、ワタクシのコラムで誰かが楽しんでくれればいい、誰かが感動してくれればいい、そんなささやかな、ささやかな夢でございます。
年取るとね、「大きな夢は必要ないんだ」って気がつきますよね。小さな夢が、そこらじゅうに転がっている。その小さな夢に、誠実に、小さな小さな足取りで臨んでいけばいいんだって気がつくのでございます。竹原ピストルさんは、またこんな歌詞も歌っております。「僕は”人生勝ち負けなんてないんだ”と言う人の人生に、心を動かされたことは、一度たりとも、無い」と。