店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
アカデミー賞の会場が、大騒ぎ。受賞作を間違えて発表するなんてアクシデントもございましたが、授賞式で大統領と真っ向対決するってのも、なんともアメリカらしい。まぁ、一般的には「アカデミー賞は、言論の自由を守るんだ」なんて言っておりますが、なんかなぁ、ワタクシ的にはチャンチャラおかしく感じるのでございます。
2009年に『ザ・コーブ』というドキュメンタリー映画がございました。ご存じの通り、和歌山県のイルカ漁をドキュメントした映画でございます。これが、ドキュメントとは名ばかりの偏重映画。イルカ漁を批判するだけのプロパガンダ映画でございました。批判する部分は批判する。しかし、漁師にも言い分はある。その両者を取り上げてこそ、「ドキュメンタリー」なのでございます。
その『ザ・コーブ』が、なんとアカデミー賞の「長編ドキュメンタリー映画賞」を受賞してしまう。この時点で、「あ〜ぁ、やっぱりね」とワタクシは思ったのでございます。グリンピースの活動でも分かるように、動物愛護のような題材には多くのパトロンが付くのでございます。有名人や有力者がパトロンにつくと、何かしらのバイアスのようなものが掛かってしまう。『ザ・コーブ』の受賞もそんなバイアスありきの受賞であった様な気がいたします。
かつて、ネイティブインディアンは悪者。それを撃ち殺す白人は正義の味方。米国映画にこんな風潮しかなかった時代がございます。そんな風潮の転機となったのが、1972年のマーロン・ブランドのアカデミー主演男優賞。マーロン・ブランドは、その白人偏重思想を理由に、この賞を辞退いたします。この時から、ハリウッドはステレオタイプな西部劇にピリオドを打ったのでございます。
でもね、マーロン・ブランドが主張するまでは、誰もそれに気がつかなかった。気づいていても言えない空気が有ったのかもしれない。アメリカが独立してから何年経つんだ? 映画が発明されてから何年が経っていた? でも、ハリウッドはそのマーロンの指摘を受けるまで、延々と白人偏重西部劇を量産してきた。アカデミー賞は言論の自由の場とか言いますが、あ〜あ、チャンチャラおかしい。「嫌われる勇気」を持った1人の役者に指摘されるまで、何ら自浄能力が無かったではないですか。
お話を、今回のアカデミー授賞式に戻しましょう。授賞式が「反トランプ」一色に染まっておりますが、それもおかしな話。「言論の自由の場」で有るならば、両者がそろって好きな事を言えるのが理に適っているはず。反トランプで一色に染まるのも、反捕鯨で一色に染まるのも、ワタクシには同じに見えるのでございます。
白人偏重思想ってのは、まだまだアメリカには根強く残っておりますよ。たまたまトランプ氏が「嫌われる勇気」を持ってその思想を主張したのですが、アメリカ国民の約半数がそれに同調したことでもよく分かるのでございます。アメリカという国は「白人偏重」という本音を根底に持ちながらも、「人種差別反対」という建前で体裁を保っている国なのでございます。
ももクロとかシャネルズとかが顔を黒く塗ると、やたらそれに食いついて批判する人が出てまいります。特にアメリカ方面から。あるいは、白人女性が日本髪のカツラを付けて芸者を演じた「VOGUE」の広告が、これまたアメリカで問題に。日本では「何が問題なの?」って感じなのですけどね。