店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
店番をしている最中は、テレビの音声を消して画面だけ表示させていることが多いのでございます。夕方、チラリと見たテレビ画面に、時天空の顔写真が写っておりました。引退してからは、間垣親方として頑張っておられました。
ちょうど一年前に悪性リンパ腫であることが発覚し、治療のために休場を重ねていた時天空。もう一度土俵へ戻りたいと願いつつも、休場のために番付は下がり続け、しかも抗がん剤の治療のために髷(まげ)も失い、病室でひそやかに断髪式を行うということもございました。
体力の衰えはどうにもならず、引退を決意。引退後は、治療の傍ら、大相撲の解説や会場スタッフとして活動されておりました。テレビ画面に写る顔を見て、「だいぶ回復されたのかな?」とも思っておりましたが、病状は治まることなく進行し続け、本日、亡くなられたそうでございます。37歳だったそうでございます。ご冥福を、お祈りいたします。
各ニュース報道では、「37歳の若さで…」という語句で切り出しておりました。そういえば、読売ジャイアンツのコーチ「木村拓也」さんが、くも膜下出血で亡くなられたのも、37歳。さらに、37歳という年齢は、ワタクシには個人的に思い出ある年齢でございます。
ワタクシがまだアラフォーの頃、ある年下のニューハーフの友人がございました。美形の子で、人気も非常にございました。ただ、その子がマリリン・モンローを崇敬しておりましてねぇ、「私はモンローと同じように37歳で死ぬんだ、きっと」と常々口にするものですから、いつもヒヤヒヤしておりました。まぁ、今現在はとっくに37歳を過ぎておりますが、ピンピンしている様子。取り越し苦労だったようでございます。
ワタクシが37歳の頃はと言えば、歌舞伎町のショーパブで働いておりました。風俗から一度引退し、水商売に専念していた頃でございます。あの頃は、歌えたし、踊れたし、体力もあったし、物覚えも良かった。絶好調の時期でございましたね。人生を左右するような貴重な出会いも多くあった時期でもございます。そう思うと、時天空の37歳というのは、早いですねぇ。ご冥福をお祈りいたします。