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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-01-18 【春先ドラマ、独断と偏見、その2】

役者が「舞台」を演じる時、役者はその演目のほぼ全体像を想像できております。稽古中から何度も同じシーンを繰り返しますし、通し稽古という本番と同じ流れのリハーサルもございます。他の役者のシーンを見ることも多く、どんな劇のどんな役として自分がキャスティングされているのか、そういった客観的な認識を強く持っております。

これがですねぇ、「ドラマ」の収録となると、全然違う。ロケ地やキャストのスケジュールなどの都合で、ストーリーの流れに関係なく、都合のいいシーンから撮影していく。ドラマの始まりのシーンの撮影の直後に、ラストのシーンの撮影なんてのもよく有る話。

さらに、自分の出演シーンの撮影にしか呼ばれませんので、他の人がどんな収録をしているかを見る機会がほとんど無い。絡むシーンがないと、クランクアップまで一度も会わずに終わるキャストがいたりもするのでございます。

さらに輪をかけて、ドラマには「編集」という行程がございます。編集を経て初めて、ドラマは「完成型」に至るわけでございます。こんなようなもろもろの理由が有りまして、実は、ドラマのキャストは、自分が演じているドラマがどんな感じに仕上がるかということを全く分からないまま、演じているのでございます。

でも、全員が完成型の分からぬまま進めていたら、大迷走いたしますよね。ですので、演出家がその完成型を頭の中に持っているわけでございます。そう、ドラマを制作しているとき、その完成型を分かっているのは演出家だけ。キャストは、全体像の見えぬまま、演出家の指示に従って撮影しているのでございます。

この様にキャストからは全体像の見えにくいドラマ撮影ではございますが、これに反して、「撮影中、スタッフとキャストが”共通感覚”で通じ合い、一丸となって撮影しているのだろうな」と思わせるドラマもございます。それが、阿部サダヲ主演の「下剋上受験」。このドラマのスタッフは、ある意味「確信」を持って撮影をしている感じがいたします。

現場の方々はみんなプロで、それぞれが「どうすれば良いものを作れるか」というのを知っております。そのような人達が、「このドラマはこんな感じで仕上がっていくのだろうな」という共通感覚を持っておりますと、放っておいても自然にその方向へ固まっていく。そんなスタッフ&キャストの一致団結感を強く感じるのが、この「下剋上受験」というドラマでございます。

これは、阿部サダヲさんと子供との相性が鉄板だからでしょうね。実に安定している。こういう安定感のある人が主演に来ると、脇役も頑張っていい演技をしようとしてくれる。派手さはないけれど良質のドラマが出来るよく有るパターンでございます。昨年、黒木華さん主演の「重版出来!」というドラマがございましたが、あれも同様でございます。脇役が頑張りたくなる主演役者というのが、有るのでございます。

さて、もうひとつ、全体像が見えないまま、役者全員がピリピリしながら撮影しているドラマがございます。「カルテット」でございます。主演は、松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平の4人。この4人が、まるで精密機械の歯車のような緻密な演技で絡み合っております。

役者というのは、役をもらい台本を読むと、その役の人の「人生」を頭の中で作り込みます。どんな幼少期を送ったのか。家庭環境は? 歩き方は? 口癖は? 手の癖は? 好きな持ち物は? 拘りとかは? この様なことを台本の中からヒントを拾い上げ、自分でキャラ設定を作り込んでいくのでございます。

「カルテット」の登場人物の4人は、まさに4人ともが真摯に自分のキャラ設定に取り組んでいるのがよく分かるのでございます。実に、実に、緻密に組み上げられた脚本でございますから、その精密な歯車のひとつを演じきらないと、他の歯車と噛み合わなくなる。演技の好きな人達が、真剣に演技に取り組んでいるピリピリするようなドラマでございます。

緻密な脚本というのは、演者のちょっとした言葉の一端、ちょっとした目の動きなど、些細な些細なことが、後々にストーリーに関わってくるのでございます。それこそ、何ひとつ無駄がない脚本だったりいたします。そういった脚本は、役者は真剣にならざるを得ない。緻密な脚本に、真剣に取り組む役者陣。これも、期待のドラマなのでございます。

「嫌われる勇気」は、先日、さんざん言及いたしましたので、もういいですよね。長くなりましたので、今日もこのくらいにしておきましょう。では、では。


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