店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
例えば、同じ料理でも、料理人が「愛情を込めて作りました」と言われれば、現状以上に美味しく感じるもの。「いやぁこの料理苦手でねぇ、頑張って作ったんですけどねぇ」なんてことを料理人がポロッと言ってしまったりすると、食べる人にはマイナスのバイアスがかかりまして、美味しさも半減してしまったりとか。
自分を愛するという行為は、その人自身を輝かせる効能が有るのでございます。そしてその輝きは、その人の挙動のみならず、製作物などへも伝搬していきます。料理人や職人さんが自分の仕事に愛情を込めるとき、その大前提として「自分を愛する」という下地があるのでございます。
でも、自愛も度を超すと、「功利主義」や「自己主義」に走ってしまう。そう、今のアメリカ。今、アメリカは、必死で自分の国を愛そうとしている。そこには「他の国の利益を損なってでも」という前書きが付いてしまっている。どうしてそうなるかというと、「他愛」がないから。「たあいない」の他愛でございます。
他愛とは自己犠牲の精神。キリスト教の大原則でございます。キリスト教徒の多いアメリカでこの「他愛」が影を潜めているのは、矛盾と言えば矛盾。精神的な豊かさよりも、経済的な豊かさへの渇望が勝っているということでしょう。
「自愛」の反対語は「他愛」と思いそうですが、実は違う。自愛の反対語は「自愛できない」でございます。冒頭で、自愛の精神が自分の製作物にも伝搬すると申しました。その製作物には「他人」も含まれるのでございます。そう、自愛と他愛は表裏一体。同じ事を表と裏から見ているに過ぎないのでございます。自分を愛するという行為がそのまま、他人を愛する行為につながるのでございます。
と、いうことは、自愛できないと他愛も出来ないということ。自愛できないのに他愛が出来るというのは、これはまやかしの愛情。詐欺師の愛情でございます。自愛しているけど他愛はできないというのは、自己主義。やはり、まやかしの愛情。自分を愛している"つもり"になっているだけでございます。