店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
昔は、「2」の意味しかございませんでした。それを受けて、最近は「1」の意味でも使われるようになった言葉でございます。では、今の日本人は何をトレードオフすべきなのか? それは、「善」と「悪」でございます。
領収書をごまかした政治家がいたら、寄って集って弾劾して辞めさせてしまう。で、また税金を使って選挙をすることになる。あ〜、無駄、無駄。領収書のごまかしなんてかわいいもの。別に国を売ったわけでもあるまいし。「コラッ、ダメだぞ!」って叱っておけば、逆に今まで以上にセカセカと働いてくれるのではないですか?
政治家の領収書問題は、多分、みんなやってる。たまたま要領の悪い新米議員ばかりがつるし上げられるだけのこと。静観しながら、どこにシステム上の問題点があるかを洗い出した方がよろしいでしょ。それには、「どうしてごまかすのか、ごまかしたのか」ということを当事者に聞くことも必要。追い出してしまった後では、聞くことも出来ません。結局、システムの改善も出来ず、古株議員の因襲は続くという悪循環になる。
学校の先生だって、何か問題が有るくらいの方が、人としての引き出しが多くていい。過ちを経験していてこそ、子供達に失敗や挫折からの立ち直りを指導できるってもんでしょ。むしろ、まったくつまづかずに成長してしまった大人ほど、おっかないものはない。ちょっとした挫折で瓦解してしまう可能性がございますからね。
些細なことで訴えられていたら、学校の先生はみんな事なかれ主義に走ってしまう。訴えられないことを考えて、子供の前で言葉を選ぶかも知れない。でも、そんな大人の腹の中を子供は周到に読み透かしてしまう。こんなのは、もはや教育ではない。教師が成長していくにも、時間が必要。清廉潔白な完璧教師を求めるのではなく、グレーでも引き出しの多い心の豊かな教師を長い目で育てるという寛容さ。これが、教師をとりまく世の中に必要だと思うのでございます。
世の中が、「善」と「悪」の両極端のどちらかでしか考えられなくなっている。原発が爆発すれば、国内全基を止めろと大騒ぎする。保育園の建築計画が立ち上がれば、地域の反対運動で話が立ち消え手しまう。世の中の全てのものには、「恩恵」と「不利益」が必ず共存する。しかし、その恩恵には目もくれず、自分に降りかかる不利益だけをことさら叫び、個人の権利を乱用する人ばかりが増えている。