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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-08-08 【わだかまりを持っているのは、むしろアメリカの方みたいです】

この時節は、終戦関連、原爆関連の記事やテレビ番組が集中するものでございます。5月にオバマ大統領が広島を訪れたのはまだ記憶に新しいですが、あの式典では、ちょっとワタクシ的には不服な演出がございました。被爆者とオバマ大統領が抱き合うシーンでございます。

なんか、あれはメディア向けのサービスカット的な演出ですが、オバマ大統領も被爆者当人を前にしたら、抱き合うしかない。事前に「謝罪はしない」と明言していたアメリカに対し、何か追い詰めるというか強要するするような、相手の逃げ道を作らせない傲慢な演出に感じたのでございます。

あの、オバマ大統領と対面した被爆者の中に、森重昭さんという方いらっしゃいます。この人は、長年、日本で被爆したアメリカ兵の追跡調査を行っている人で、著書も残しております。この人を式典に呼んでいるのなら、どうしてこの人の長年の功績に焦点を当てない。それが不満なのでございます。

実は、原爆で被爆したアメリカ兵に関して、アメリカは長い間その存在を否定し続けていたのでございます。アメリカ政府がある程度正式に認めるまでには、終戦後40年の年月が掛かっております。捕虜がいることを知っていて投下したのですから、アメリカ国内の世論の反発を危惧し、ごまかし続けていたのでございましょう

原爆投下をひとつの史実として、怨嗟(えんさ)を未来への希望へと昇華させるのに、日本側も年月が掛かっております。同様にアメリカ側も、原爆投下の正当性への決着は、年月がかかっております。今だに決着は付いておりません。式典前に「謝罪はしない」とことさら念を入れてきたのも、その決着に終止符を打つ下地が、アメリカにはないからでございます。

アメリカに終止符が付けられないのなら、日本側が決着を付けてやろうじゃありませんか。ワタクシは、安倍首相の演説で、「日本は今後一切の謝罪も賠償も要求しない」と明言して欲しかった。実際、日本国内で謝罪や賠償を求める声は、非常に少ないのでございます。そして、「もはや恨みではなく、過去の教訓、未来への指針として考えている」というようなことを発言して頂きたかった。

「負けるが勝ち」という語がございます。謝罪・賠償を要求しないと明言するのは、負けるように感じられるかもしれません。でも、そもそも謝罪や賠償を気にしているのはアメリカ側。それならば、相手の心を見透かして先手を打つことで、物事の主導権を得られるのでございます。

グズグズと決着を付けられないアメリカに対し、日本が主導して「原爆の正当性を論じるのは、今日を限りに終わらせましょう」と安倍首相が言っていたなら、ワタクシ、感動したなぁ。まぁ、そんなことは無かったわけでございますけどね。アメリカが思っているほどに、日本はアメリカを恨んでいない。原爆の悲劇を乗り越えているかと考えれば、日本の方がはるかに一歩も二歩も先を歩いていると思っております。

森重昭さんを呼んでおいて、でも被爆アメリカ兵には言及しない。折り鶴に拘っておいて、でもその折り鶴をアメリカ国内で展示する労を執(と)った故トルーマン大統領のお孫さんには言及しない。言及できない大人の事情が有ることは、まぁ想像できるのですが、なんとも、ワタクシにとっては消化不良のオバマ大統領の広島訪問でございました。

日本がアメリカの大統領に「広島に来い」という姿は、「天皇は土下座して謝れ」と言った某国の前大統領と同じに見えたかもしれません。確かに、「被爆者のために訪れてくれ」というのは、日本側の「傲慢」を感じるのでございます。優しさがない。

「日本の被爆者のためでなく、被爆アメリカ兵のために謝罪に来てくれ」と日本側が最初に明言していたらと、そんな妄想をいたしました。自分の利を考えず、まず相手をおもんぱかる、それが日本の「道」の考え方でございます。でしたら、オバマ大統領を呼ぶ際にも、こんな余裕のある優しさでアプローチして欲しかったなと思うのでございます。

被爆アメリカ兵の名前は、レーガン大統領の時代にアメリカ国内で読み上げられております。ワタクシは、オバマ大統領が広島でその名前を読み上げていたら、どれほど感動的であっただろう、そう思ったのでございますが、現実にはそんな事は起きませんでしたね。まだまだ、素直に事が進められない「大人の事情」がいっぱい有るようでございます。

しかし、オバマ大統領の広島訪問は、明らかな、そして大きな進歩でございます。「日本もアメリカも、共に『ヒロシマ』を乗り越え、未来への光として昇華した」と誰かが明言してくれる日が、いつか来ることでしょう。そんな感動的な日が来ることを、祈っております。


参考

 『原爆で死んだ米兵秘史』
  森重昭著 潮書房光人社 256頁 ¥2,160

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