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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-08-02 【ネット社会にはネット社会的な信頼関係が有るようです】

7月24日のこの欄で「慣れ」ということでお話をいたしました。カラオケのお話をした回でございます。先日、『探検バクモン』という番組を観ておりましたら、劇団四季の楽屋の映像で「慣れ・だれ・崩れ・去れ」というデッカイ張り紙が映り込んでおりました。最後の「去れ」っていうのは、さすがの劇団四季、厳しいですねぇ。それくらいに、「慣れる」という事には落とし穴があるということでございます。

この「慣れ」ということ、接客業でも時に大きな落とし穴になる場合がございます。「馴れ合い」という語がございます。一見のお客様が常連のお客様になり、それに応じてもてなす側も慣れてくるというのは、重要なプロセスでございます。しかし、慣れが「馴れ合い」に落ち入ると、これは逆に飽きられる原因になるのでございます。

例えば、ラーメン屋でも喫茶店でもいいのですが、いつも同じ注文をする常連のお客様がいらっしゃると想像してみて下さい。お客の方から「いつもの」と言うかも知れません。お店側から「いつものでいいですね?」と聞くかもしれません。でも、もし、このやり取りを省略してお店側が「いつものだろう」と勝手に判断して商品を出したら、これは「馴れ合い」になってしまうのでございます。

お客様は、たまたまその日だけ違う物を欲していたかも知れない。あるいは、その日は特別な日で、いつもと違う行動を予定していたかも知れない。そういった非常にわずかな可能性を想定して、最低限のやり取りは欠かさないということ、重要でございます。慣れたやり取りでも、ほんのひと掴みの礼節を残して接する。これを怠ると、いつの間にか慣れが馴れ合いへと腐っていくのでございます。

でも、先ほどのラーメン屋か喫茶店のやり取りで、聞かずに黙っていつもの商品を出すことも可能です。おやおや、また名古屋薫、矛盾したことを言い始めましたよ。「言うことがコロコロ変わる」と思った方もいらっしゃるかも。しかし、この矛盾と思える行動に、接客のキモがあるのでございます。

小さな礼節を残しておくやり取りと、何も言わずに進行出来るやり取り、何が違うのでしょう? それは、もてなす側ともてなされる側との「信頼関係」でございます。どこまで深い信頼関係があるかで、省略できるやり取りも増えてまいります。「阿吽(あうん)の呼吸」というものでございますね。

ただ、阿吽の呼吸と言えども、やはり小さな小さな礼節は必要でございます。「親しき仲にも礼儀あり」と申しまして、どこかでお客様を気づかう「思い遣り」を残しておく必要がございます。慣れていく過程で、相手への気づかいが希薄になるというのはよく有ることでございます。しかしその結果、思い遣りを欠いてしまうと、阿吽は流れ(作業)となり、慣れは馴れ合いへと腐っていくのでございます。

日常生活でいろいろ思い出すと、様々な接客がございますね。絶対に慣れや信頼関係に発展しないだろうと思える、ファーストフード系のマニュアル的接客。ああいったお店がマニュアル的紋切り型の接客を目指すのは、今回申し上げたように、高度な接客には落とし穴が有るからかも知れません。とすると、広範囲・膨大な店舗数で同じ接客レベルを維持するためには、マニュアル対応の接客も意味があると思えてまいります。

逆に、初回からいきなり馴れ馴れしいラーメン屋とか有ったりいたします。初対面で立ち入ったことを聞かれたりいたしまして、まぁ、それを喜ぶお客様もいるのでしょうが、ワタクシはちょっと苦手。その店主が他のお客様と非常に馴れ馴れしい会話をしているというのも、馴染みのないワタクシにとってはあまり気持ちのいいものではございません。そのお店がそのやり方で成立しているということは、ワタクシが場違いということなのでございましょう。

閑話休題。阿吽を流れにしないため、そして、慣れを馴れ合いにしないためには、何が必要が。それは「目を合わす」とか「顔色や空気を読む」といったことでしょうね。たとえ慣れてきても、そういった最低限のチェックを怠らないこと。そして、敏感に気づけること。それが、気遣いや思い遣りの欠如を防ぐことになります。

まぁ、現代社会はネット上での接点が増え、人と人とが直に接するという機会が少なくなっております。電話でさえ嫌われて、メールやLINEのようなもので連絡を取り交わすことが増えております。相手の顔色を伺いながら接するという人づきあいの方法が、ネット中心になっていく現代でどのようなポジションに置かれていくのか、今はその過渡期として、興味深く見守っております。

ということで、長文、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。では、では。


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