店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
先日、世阿弥説くところの「初心」というものについて語りました。当店もオープンして14年になりますが、その間にもいくつかの「初心」が有ったのでございます。今日は、そんな当店の運営に関する初心のお話でございます。
オープンした頃、コンパニオンはワタクシを含めて2〜3人でございました。お店の規模も小さく、のんびりとしていたものでございます。店をオープンしたと言っても、なかよしグループに毛の生えたようなもの。何もかもが初めてで、自分でやらなければならないことばかりのスタート。だけど、「店を背中に背負っている」なんていう緊迫感はあまりなかったのでございます。このスタートした時が、このお店にとって、そしてワタクシにとってのひとつ目の「初心」。構成員全員がその志や価値観を共有する、フレンドリーな初心でございました。
さて、お店も順調に規模を大きくしまして、コンパニオンも7〜8人くらいになりますと、ふたつ目の「初心」が訪れるのでございます。人数がこの位に増えますと、もう“なかよしグループ”では立ち行かなくなるのでございます。価値観や志はバラバラ。お店が一枚岩ではなくなるのでございます。こういった状況でお店をまとめるにはどうするか。ここに“経済原理”の必要性が生まれるのでございます。
価値観が違う者同士が集っていても、そこに共通に流れる価値観、それは「お金」でございます。従業員は皆、お金を稼ぎに来ているわけですから、このお金に関する価値観だけは共通するのでございます。そこで、まぁ言葉は悪いですが、「お金で釣る」という経済原理でコントロールするお店の形態になるのでございます。お給料のシステムや、罰金、特別手当、こういったもので従業員をコントロールするのでございますね。ちょっと冷めた人間関係の様に思えますが、いろんな人が混ざってお仕事をする場合には、どうしてもこんな感じになるのではないでしょうか。ふたつ目の初心は、経済原理に目ざめる初心でございました。
この経済原理でいつまでもやっていけるのではないか、資本主義の世の中ではこの原理が絶対に思えてまいりますよね。しかし、しかし、人の心とは異なもの不思議なもの。経済原理の働かない場合が出てくるのでございます。「お金なんかいらないから、お休みが多い方がいい」なんて言葉は、最近の若い人からはよく言われるのでございます。また、お店も順調な時ばかりではございません。お客様や従業員に恵まれる時期も有れば、その逆に厳しい経営を余儀なくさせられる時期もございます。経済原理ではどうにもならない波の谷間にお店が乗っているときにどうするか? そこに次の初心が必要になるのでございます。
三つ目の初心は、「受け入れる心」。何もかもを、あるがままに受け入れるのでございます。お店が大きい時には、大きな商売をすればいい。お店が小さくなれば、それに見合った商売をすればいい。起こること全てを、毅然と、そして、平静な気持ちで受け入れる。そんな達観した心が、三つ目の初心でございます。鴨長明は『方丈記』の冒頭で、「人の人生は川面に浮かぶ泡沫(うたかた)の様なものだ」と書いております。あるいは、美空ひばりは「川の流れにこの身を任せたい」と歌っております。流れに逆らわず、流れを受け入れる大きな心。「人生」とか「運命」とか、人知を超えたもに出会ったとき、この三つ目の初心が必要なのでございます。