店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
小学生のとき、体育の授業で初めてサッカーの試合をやったときのことでございます。試合が始まってすぐ、担任の先生がゲラゲラ笑っている。何が可笑しいかと言いますと、生徒が全員ボールの回りに集まって、ボールを取り合いながら押しくらまんじゅう状態。当然、誰かが抜け出すわけでもなく、延々と押しくらまんじゅうが続いている。その様子を見て、担任がゲラゲラ笑ったということでございます。
さて、世の中は「選挙」なのでございます。「与党」というボールを奪い合うために、いろんな人がくっついたり離れたり。その様はまるで、日没を迎えた鳥の群れが、止まり木を探して旋回しているようでございます。烏合の衆とはよく言ったものでございます。小学生のサッカーレベルなのでございます。
その選挙で公約とされているものに、「脱原発」がございます。が、しかし、これを公約とすることに日本中のほとんどが違和感を持っていない。これもまた、困ったことでございますねぇ。脱原発というのは、数十年もかかること。そんな長期のエネルギー政策を、任期4年の衆議院選挙で朗々と語っている。あぁ、おかしい、おかしい。しかも、政治家の語る「脱原発」には、科学的な根拠が皆無。それでも「脱原発」を叫ぶのは、“脱原発という夢”を語れば票が落ちてくるから。そもそも実現可能かどうか分からない夢なのですから、それを公約とすることはおかしい。そして、そのおかしさに気づかない国民も、また、おかしい。
まだ、おかしいことがございますよ。政治家の方々、原発に関しては語るけれど、電気料金の「総括原価方式」や「発送電分離」に関しては語らない。電気料金が今後どうなるかが、日本の未来を大きく左右するということに、みんなもっと気がつくべき。「我慢すればいい」と言う人も多いが、零細企業など、すでに我慢の限界を超えているところも多い。「消費税は上げる。しかし、電気料金は下げる」なんてことを公約にしてくれたら、まぁ、一票投じようかなとも思うのですけどねぇ。では、なぜ政治家は電気料金を語らないか。それは、電力会社が持っている組織票を失うからでございます。だからこそ、国民は「脱原発」なんて夢言葉で浮かれていてはいけない。電気の仕組みの本質をもっと注視しなければいけないと思うのでございます。