店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
猫ってのは、人間に見せている顔と、人間がいないときに猫どうしで見せている顔があるって、ご存じですか? 複数の猫をペットとして飼っていたりすると、人間には気がつかなくても、その猫どうしでは厳格な「格(かく)」の上下が決まっているそうでございます。人間の前では可愛いペットを演じている猫ちゃんたちも、人間がいなくなるとケモノの顔になり、格の高い猫が下っ端の猫の首に噛みついたりして、猫社会の上下関係をはっきりさせたりするようでございます。
人間社会も似たようなところがございまして、小さなお店の中に多くの従業員が待機しておりますと、誰が好きで誰が嫌いだとか、腹を割っているとか割らないとか、裏表が有るとか無いとか、そんな「格付け」や「レッテル貼り」をして、わざわざ息苦しい思いに自分を追い込んだりしちゃう人もいます。人それぞれみんな違う価値観を持って生きているわけで、その他人の価値観を受け入れる、あるいは自分の価値観を歩み寄らせる、ただそれだけで楽に楽に生きられるのでございますが、それがなかなか難しかったりするのでございます。
そんな腹にモヤモヤを持った皆様方も、皆、ワタクシの前では大なり小なり「いい子ちゃん」を演じております。まぁ、ワタクシは従業員より一段高いポジションにおりますので、当たり前と言えば当たり前なのでございます。もうね、誰が正しいとか、何が正しいなんて関係ないのでございます。みんな、人間の前で可愛いペットを演じている猫ちゃんと同じ。まぁズケズケ言わせていただければ、同じ穴の狢(むじな)なのでございます。
ワタクシには、従業員全員に稼がせる責任がございます。従業員全員が稼ぐためには、従業員どうしがそれぞれ歩み寄り、無意味な精神的ロスを最小限にするというのが理想的でございます。これはプロスポーツのチームなどで、選手それぞれが個人成績を追求していながらも、チームとしてみごとに機能し勝利に導くというのと似ております。一見相反するように見える個人の利益追求とチーム全体の利益追求ですが、選手一人一人が、自分の成績という局所的(ミクロ)な見地と、チームワークという巨視的(マクロ)な見地、その両方を見据えて行動できているから可能なのでございます。
ワタクシがかつて、名古屋から飛び出し東京へ挑戦したことがあったのも、自分の可能性を信じ、夢を追いかけてのことでございます。東京でボロボロになって名古屋に舞い戻ってまいりましたが、名古屋でお店を起こし、2号店を立ち上げ、さらに今でも、もっと手を広げることは出来ないかと画策しております。自分の身の回りばかりを局所的に見ていると、ちいさな人間関係に惑わされ、そのモヤモヤに縛られて身動きが出来なくなるものでございます。モヤモヤする人ほど、自分の将来や未来を巨視的に見つめ、広く大きく外へ未来へと、思いを馳せるべきでございます。何か夢中になれるものを見つけられると、意外と小さなモヤモヤなんて吹っ飛んでしまったりするものでございます。