店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
英語では「LOVE」とひとくくりにされてしまっておりますが、日本語では「愛」と「恋」という微妙に意味合いの異なった漢字で区別されております。「愛」や「恋」という漢字が現在の意味で定着したのは明治期の文豪に依るところが大きいのでしょうが、この二つを別物として扱ったところに、当時の崇高な感性を感じるのでございます。
「愛」というのは、「無償の愛」でございます。見返りを求めない。ですから、無条件であり、それ故、自己完結している。一方、「恋」というのは打算。「自己を満たそう」という見返りを求める行い。「~ならば」という条件付きなので、時として永遠に満たされないこともございます。下心を内に秘めた「打算の愛」なんてものも有るから、人と人との交わりはややこしい。
母親が赤ん坊(子供)に向ける愛は無償の愛。世の中の全ての無償の愛は、この「母親の愛」がお手本でございます。人は皆、幼少期にこの無償の愛を母親から受け取り、それを一生の「愛のお手本」として潜在的に学習するのでございます。もちろん、父親の無償の愛も当然ございますが、そこは、お腹を痛めて産んだ母子の絆には及ばない部分もございます。男ってのは、寂しいものでございますね。
思春期の恋も、悲しいかな、打算でございますねぇ。自己犠牲というよりは、自分の心の隙間を埋めたいとする感情の方が勝っております。まぁ、それが若さというもの。で、満たされずに終わった時、それが「愛」として昇華する場合も有れば、「憎」として暗黒面に落ちる場合もございます。愛と像は同じ物の表裏一体。愛憎とは良く言ったものでございます。