店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
先日、れいわ新選組、N国党に言及いたしました。泡沫候補扱いをしてほとんど報じなかった日本のマスコミは、まだまだ既成概念の枠を飛び出せないでいるみたいですねぇ。今日はね、この二つの小さな小さな政党(両方とも、政党要件に達しました)の「何が」有権者の心を引いたのか、ワタクシなりの解釈をひもといていくのでございます。
大勢から支持されるような人を、「カリスマ」なんて申します。では、カリスマとは何ぞや? 言動や技能が練達していればカリスマなのか? 確かにそれは必要条件かもしれないが、十分条件ではない。人が誰かを信用し「この人に付いていこう」と思うとき、そこには理屈や練度を超えた、「ある力」が働きかけているのでございます。
それは、「感動」というヤツでございます。理念や思想に、「同意」することはございます。それが自分の境遇と重なれば、「共感」に至るでしょう。この同意・共感のプロセスは、まぁ日常生活ではよく有ること。この先に、「信頼」という高位がございます。この高位に到達するかどうかは、「感動」が決め手なのでございます。
でも、れいわ新選組の公約は理論を欠いたデタラメ、N国党の公約はひたすらNHKのスクランブル化を訴えるだけの薄っぺらいもの。それがどうして、感動を呼んだのか? ここでね、想像してみて下さいませ。小さな子供が一生懸命やっていることって、感動的でしょ。そう、感動とは、理屈じゃなく、「息づかい」なのでございます。必至に一生懸命やるときの息づかいが、感動を呼ぶのでございます。
そう考えますと、両党とも、公約はごくごく庶民的な内容。分かりやすい言葉で訴え、同意、共感は非常に得やすい。それプラス、捨て身の選挙演説、これが功を奏したのでしょう。捨て身と言いますか、N国党の場合は常識外れな演説ではございました。しかし、今の多くの政治家が忘れている、「分かりやすさ」「情熱」を持っていたために、あれほどまでの票を獲得したのだと思います。
歴史的に有名な政治家、独裁者を思い出してみて下さいませ。例外なく、それぞれ、魅力的な「息づかい」をしているのでございます。そして、大衆を魅了したその息づかいは、時として、歴史を間違った方向へ誘導する場合もございます。それはもちろん、「カリスマ」というものにとって、練達が必要条件であって十分条件ではないことの証明に他ならないのでございます。