店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ワタクシ、若い頃に書店でアルバイトをしていたというのも、今まで何度かお話しております。その書店、エッチ系の雑誌を全く陳列しておりませんでした。書店の社長さんが高齢のおじいさんで、その社長のポリシーとして、エッチな雑誌は配本されても陳列されることなく、即返品処理をしておりました。
さて、その社長さん、亡くなられてしまいまして、息子さんが後を継いだのでございます。すると、まぁ、なんということでしょう! エッチ系の雑誌がドンドン陳列されていくではありませんか。それも、入り口に近いかなり目立つ場所にでございます。
二代目社長いわく、「こういう雑誌が売れるんだよぅ」とのこと。当時はネットなどありませんから、エッチ雑誌というのはまあまあ需要の有る時代。コンビニもありませんでしたしね。書店にエッチ系雑誌のコーナーが有るのは当たり前でございました。
ワタクシ、ある日を境に、エッチ系雑誌の無い店が有る店に切り替わるのを目の当たりにしたのでございます。従業員の感覚としてはですねぇ、そのエッチ系の棚だけ、何か別店舗の様な違和感はございました。当時のエッチ系雑誌というのは、場の雰囲気を変えるほどの「非日常性」が有ったのでございます。
風俗に携わるようになって気づいたのでございますが、雑多な日常に対向して「特別な時間・場所」としての非日常があるからこそ、その非日常の感動や喜びが大きくなるのでございます。日常と非日常の境が曖昧になれば、一見、身近になって便利になったように思えますが、実はその非日常の喜びはどんどん希薄して行くのでございます。
エッチ雑誌のコンビニ販売が取りざたされておりますね。あのね、ワタクシ思うのですが、非日常をウリにする商品が日常の中に埋没するというのは、逆にその商品価値を貶(おとし)めているような気がいたしますよ。コンビニという気軽な場所に陳列することで、エッチ系雑誌はそのピンク色の燐光(りんこう)を失ったのでございます。