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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-10-10 【どこまでも二足歩行に拘るってのも、日本っぽい】

たまたま見た番組が、ロボット技術を紹介する番組でございました。産業用ロボット、原発調査用ロボット、義手、オモチャの様な可愛らしいロボット、様々に紹介されており、いつの間にか技術がドンドン進んでるねぇと感じたのでございます。

前回の朝ドラ『半分、青い。』も、ロボット開発を夢みる男性が準主役で登場いたしました。ロボットの無限の可能性を考えるに、あの朝ドラもロボットネタで十分に話を膨らませられた気がするのですが、なぜかストーリーはロボットから扇風機へ進路変更してしまったのでございます。

『半分、青い。』では、ストーリーの序盤で、ピアノを弾くロボットが登場いたします。何十年も前に実在したロボットですので「実機かな?」とも思いましたが、調べると、当時の開発者がNHKと協力して、このドラマのために製作したロボットだそうでございます。

多分ね、これは想像ですが、このロボット登場のための準備が、そりゃぁ大騒ぎだったのかもしれません。ハリボテで動かないとなると、そんな茶番劇はない。登場人物がそのロボットに魅了されて、ロボット開発の道を選ぶわけですからね。

で、準備期間も制作費も大幅に費やしたであろうと想像できるそのロボット登場シーン。NHKも「この先、こんな苦労が、一年弱続くのか!」と思ったでしょうねぇ。ということで、全くのゲスの勘ぐりでございますが、終盤までロボットを引っ張るのは早々と諦め、「もっと手頃な物へ」と路線変更した可能性がございます。

NHKの朝ドラは、「理科系の描写」に弱いのでございます。『マッサン』でも、ウィスキーの製造シーンはほとんど無し。銅製の大釜と大樽が登場するばかり。それ以外のシーンを描写しようとすると、やれセットだ、やれロケだと、ロボット登場並みの大騒ぎになるからでしょう。で、使い回しの出来るセットでの人情話が、メインになってしまうということに。

冒頭のロボット特集の番組に戻りますが、義手のシーンが興味深かったのでございます。海外のものは、義手にボタンがいっぱい付いてて、いちいち反対側の手でなにやら操作をしている。日本のものは、腕の筋肉にセンサーを取り付け、その筋肉の力の入りようで、義手の5本の指をそれぞれ別々に動かせるという優れものでございます。

ここにね、海外のものと日本のものと、大きく発想の違いが有るのでございます。海外のものは「簡単な操作で、いかに複雑なことを義手にやらせるか」という考え方。日本のは、「操作には相当な訓練を要するが、構造そのものは出来るだけシンプルに」という考え方でございます。

そのシンプルな義手を見て、海外の技術者は「いったいどうやって操作しているのだ?」と不思議に思ったそうでございます。腕の筋肉の数カ所にセンサーを貼るだけですので、そのシンプルさにビックリしたでしょうねぇ。

日本の道具には、この「シンプルだけど、相当な訓練が必要」という概念が根強く残っているのでございます。調理道具、大工道具など、あと楽器が顕著でございましょう。西洋が「合理的に、誰にでも使いやすく」を目指しているのとは、好対照な気がいたします。

勝手な想像ですが、毛筆文化がかなり影響しているのではないかと考えるのですよね。一方、西洋はタイプライターの文化。ここに、「道具」に対する人間の「構え方」が違って来ているような気がいたします。まぁ、ワタクシの勝手な想像ですので、根拠はございませんけどね。

つくづく、『半分、青い。』は、もったいなかったなぁ。あのまま、ロボットを夢みる青年の物語が、見てみたかったなぁ。では、では。


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