店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ワタクシ、文藝春秋社の週刊文春よりは、週刊新潮の方が好感度が高いのでございます。『FRIDAY』と『Focus』を比べましても、やはり講談社の『FRIDAY』よりも『Focus』の方が好きでございました。学生の頃、新潮文庫には大変お世話になっておりますので、それが潜在意識として働いているのかもしれません。
映画『Show Girl』で、2番手のダンサーがトップダンサーを階段から突き落とすシーンがございます。そして、見事、トップの座を手に入れるわけでございますが、やがて、自分も、下から突き上げてくる新人にトップの座を明け渡すことに...「上がいなくなれば、自分が」と思うのは、よくあることでございます。
一方、風俗やお水でも、時として、「いけず」「追い出し」という現象が起こります。「人気のある子がいなくなれば、そのお客が自分に回ってくる」、そんな考えで発生するわけでございます。でも、仮に追い出したとしても、十分な実力が無ければ自分にお客が回ってくるわけでもない。お客様の方がより冷静に、ホステスや嬢を評価しているものでございます。
「上がいなくなれば、自分が」と思っているのは、今の野党の考え方でしょうか? でも、昨日も申し上げたけど、政権交代は絶対に有り得ない。与党の支持率がダダ下がりになっておりますが、それ以上に、野党の支持率は相変わらず限りなくゼロに近い数字。国民はより冷静に、与党・野党を評価しているようでございます。
セクハラの事件ではやたら被害者を擁護する意見が女性から出ておりますが、無条件に10対0で擁護するというのは、ワタクシは賛同できないのでございます。交通事故でも、必ずしも10対0の過失になるわけではない。被害者側の落ち度は落ち度として公平に議論できるべきだと思っております。
これはさ、「被災者だから非難してはいけない」「障害者だから非難してはいけない」「痴漢被害者だから...」「LGBTだから...」なんてこともよくあること。で、こういった人達にもし落ち度がありそれを指摘したりすると、非人情・冷血と罵られる。一種の悪平等が一部で起きているのでございます。
麻生財務相が、「福田には人権は無いのか!」と叫んだのは、印象的でございました。普段からの福田事務次官のセクハラ発言は、麻生さんの耳にも入っていたのかもしれません。それでも、正体の分からない怪文書・怪音声で辞任や更迭といったことになったら、今後、やりたい放題になってしまう。被害者保護も重要ですが、ひとつ前例を作ると、今度はそれが悪用の原因となってしまうのでございます。