店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
昨日は豊洲市場の話が出ましたが、ワタクシは20代の頃、名古屋の中央卸売市場で働いておりました。ニューハーフになる直前のお話でございます。なんかいろいろ思い出しましたので、そのころのお話をいたしましょう。
ワタクシが働いておりましたのは、業務用の総菜を扱う卸のお店。ポテトサラダや佃煮、煮豆なんてのを市場内で運んでおりました。夜の10時に出社、深夜に2時間ほど休憩して、朝の9時頃まで市場の中を動き回っておりました。
夜の10時頃と言いますと、大型トラックがどんどん商品を運んでくる時間帯でございます。暗闇の中を、大型とフォークリフトが走り回っておりますので、ちょいと危険。当時は、1年に1件くらい、事故で亡くなる人がいたりしたものでございます。
その時間帯は、入ってきた荷をさばくのがお仕事。トラックから大量の総菜を下ろし、仕分けし、それぞれの棚に放り込む。荷下ろしが終わってひと段落すると、時間は深夜。ワタクシは夜食を食べて休憩。その時間帯くらいから、発注のファックスがバラバラと入ってまいります。そのファックスを見て、別の社員さん達が、各納入先ごとに注文品を揃え始めるのでございます。
え~と、これは、今から30年も前のお話ですからね。要所要所に原始的人海戦術作業がちりばめられております。まぁ、今でもファックスとか使っているのでしょうか? 今は、もう少し近代的な仕分けになっていると、信じたいものでございます。
市場の中には、「卸(おろし)」「仲卸(なかおろし)」「小売店」という階層構造がございまして、上から下へと生鮮商品が流れていくわけでございます。ワタクシが働いていた総菜屋は、卸でございます。ですので、朝が早い。朝といっても深夜ですけどね。で、発注を受けて仲卸へ商品を納入する。
仲卸を飛び越えて、直接小売店へ納入する商品もございます。スーパーなどの大口店とか、なんか付き合いの古い八百屋さんとか。まぁ、誰がどこへ発注を入れるかなんてのは、大人の事情があったのでしょう。スーパーの大型トラックにドカンと運ぶ仕事もあれば、八百屋さんの軽トラに1kgのポテトサラダをちょこんと運ぶなんてこともございました。
♪「朝一番早いのは、鮮魚のおじさん」というわけで、鮮魚のセリが最初に始まるのでございます。朝方の4時くらいだったかなぁ。それに合わせて、魚屋さんやスーパーの鮮魚部門のトラックが続々と市場に入ってくるのでございます。この魚屋さんのトラックは、時間が来るとさっさと行ってしまう。配達は時間との闘い。鮮魚関係のトラックが急ぐのは、その後に青果のセリが始まるからでございます。
青果のセリは、朝の7時くらいだったかなぁ。30年前のことなので、いろんなことがうろ覚えでございます。その時間に合わせて、八百屋やスーパーの青果部門のトラックが入構。当時、青果の敷地内には、生花のセリも行われておりました。この時間帯の青果卸への配達は、甘~い香りの中を走り抜けますので、ちょいと良い気分なのでございます。
つまり、限られた市場内の駐車場スペースを、時間をずらせて鮮魚と青果で有効利用していたのでございます。どこにどの時間まで駐車出来るかは、厳格に決められていたようでございます。その中を、ターレーという荷運び専用の車両で走り回っていたのがワタクシ。ちょっとした障害物競走。マリオカートの格好で街中を走るのが流行っているみたいですが、それよりターレーの方が百倍面白いのでございます。
小売店のトラックがいなくなり、市場内が閑散とするのが、朝の9時くらいだったかなぁ。市場内は、ゴミの山。それを一斉に清掃するのでございます。その風景の中を、ターレーで走り抜けるのは、実に爽快な気分でございました。鮮魚のセリ場は、朝方はいつも消毒薬の匂い。焼却場には、大量の発泡スチロールの山。寒い日は、その焼却場で暖を取りながらサボったりしておりました。
今でも、たま~に、その中央卸売市場の横を通ったりいたします。当時ボロボロだった建物が、今は綺麗に新築されているのに驚くのでございます。上手に敷地をやり繰りしながら、少しずつ立て替えたのでしょうか。市場を運営しながらの改築は、大変だったでしょうね。