店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
まぁ、さすがにこんなダイレクトに言われたりはしませんが、言葉の端々や態度から察するに、こういう気持ちでいるのだろうなと察するわけでございます。こういうときにワタクシが思うのは、「どうして嫌いだと信用できないのでしょう?」ということ。嫌いだけど信用している(信用しなければならない)ことって、世の中にはいっぱい有るのでは、というのが今回のお話の発端でございます。
会社勤めの方、嫌いな上司もいらっしゃるでしょう。たとえ嫌いな上司の下で働いていても、上司の指示をいちいち「こいつ、俺を陥れようとしているのでは?」なんて疑いませんよね。まぁ、疑いたくなるような上司もたまにいるかも知れませんけどね(笑)。でも、普通は好き嫌いを飲み込みつつ、会社という組織の中の一員として、上司の言葉を信じ、会社を信じて働いております。「本音」と「建前」なんてありきたりな言葉で例えられますが、まさに大人の世界ってのは、好き嫌いの「本音」と信頼関係の「建前」とは別物として行動しております。「嫌いだけど信用する」ってことは日常的に起こり得るのでございます。
という図式が出来上がるのでございます。ワタクシは、この図式を責めるつもりはございません。小さな子供は、この図式で行動しております。自分に正直なのでございます。むしろ、本音と建前を使い分けている人の方が、いつも小さなウソをつきながら日々の生活を送っていると言えてしまう。「大人は嘘つきだ」なんてセリフがドラマなどでよく出てきますが、まさにそう、大人は嘘をつきっぱなしなのでございます。