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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2011-07-29 【十数メートルの設計違い】78.3kg

想像してみて下さい。もし、あの福島第1原子力発電所のディーゼル発電機が、十数メートル上の高台に設置されていたとしたら・・・これから書くお話は、その仮定に基づいた想像です。

福島第1原発はメルトダウンに至ることなく、他の福島第2原発や女川原発の様に、通常停止そして循環冷却に至っていたことでしょう。この大震災においてもすべての原発が安全に停止させられたことにより、日本の原発の安全神話が、なお一層世界中に発信されたことでしょう。震災直後は関東地方での電力不足もありましたが、原発の安全神話を受けて各地の点検中の原発が相次いで予定前倒しで稼働を始め、日本の電力不足への不安は、短期間で杞憂と化したことでしょう。

また、東北沿岸を飲み込んだ津波の映像が世界中で視聴されることにより、日本を支援しようとする気運が世界中で高まり、援助金はもとより、日本の農産物、日本の工芸品、工業製品、そのようなものを輸入して日本を助けようとする動きが出たことでしょう。特に、震災前から日本の農産物は品質の高さや安全性で高い評価を受けていて、この震災を機に、日本の農産物が高級野菜ブランドとして、輸出に拍車がかかったことでしょう。同様に、日本のお米もブランド米として、中国などに大きく輸出量を増やすことになったでしょう。日本の農産物は、震災を機に、世界的な“ブランド品”に成り上がるチャンスがあったのでございます。

さらに、観光旅行によって日本を応援しようとする外国の人も、大勢来日されたことでしょう。震災直後の日本人の冷静な姿が世界中に報道され「日本人」そのものの評価が高まったこともありまして、日本に訪れる外国旅行者は急増し、観光地は外国人であふれかえることになったでしょう。大変な円高な時期ではありますが、そもそも外国人旅行者は「日本を助けよう」と考えて旅行に来るわけですから、寄付をするつもりで、日本にお金を落としていってくれるでしょう。

さてさて、夢のお話しは終わりです。現実はどうでしょう? 「原発は危険」という風潮が日本中を席巻し、すべての原発が止められようとする勢い。日本中が節電のためにやせ我慢をしております。農産物を始め、牛乳・肉・お茶までが風評被害を受け、貿易にいたっては、日本の食料品の輸入拒否をする国もありました。観光地によっては、日本を訪れる外国人観光客は8〜9割減という厳しい場所もございます。

この想像と現実のふたつのシナリオ、まったく180°真逆の結果になっております。その真逆の結果を導いた原因は、そう、最初に書いたディーゼル発電機の設置されていた高さでございます。発電機が設置されていた高さの、ほんの十数メートルの違いが、ワタクシたちの運命を決定したのです。『週刊朝日』の最新号で田原総一朗氏が、この十数メートルの設計違いを「責任ある立場にいる人間が、責任を持って決断することが出来なかった」からだと、書いております。

また田原氏は、使用済み燃料の冷却期間の長さを考えると、「脱原発」は数十年という展望をもってして論じられるべきであって、その後処理の大変さを考えない最近の脱原発ブームは「無責任」だ、とも書いております。根本原因を追及せず、長期の展望もなく、ただヒステリックに叫ばれる脱原発の風潮に、「原発がかわいそうに思えてならない」というタイトルを、田原氏はそのコラムにつけております。

震災前は、原発推進側が“ヤラセ”、“献金”など、あらゆる手段を使って原発という利権を守ろうとしておりました。震災後は一転、日本中がヒステリックに脱原発を訴えております。原発村の利権問題が晒された今こそ、原発を考える良いチャンスだと思うのですが、どうして世の中、こんなにヒステリーになっちゃうのでしょうかねぇ。賛成派と反対派が同じ土俵に立ち、冷静に今後の原発問題が語られることを願うのでございます。「原因」はいつでもささいなこと、しかしその「結果」は180°変わってきたりするのですから。今こそ、冷静な議論をしていただきたいと思います。


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