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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2009-11-02 必ずしも"名は体を表さない"のが、風俗の源氏名

新聞の記事からの拾い読み。名古屋市で、自分の子供に「玻南(はな)」という名前をつけようとした親が、人名用漢字に「玻」という漢字がないためにそれが受理されず、裁判にまでなっているそうでございます。すでに一年弱に渡って争われている裁判で、この度、名古屋高等裁判所が却下したため、争いは最高裁判所にまでもつれ込みそうな様子でございます。

ワタクシ、ちょっとこのご両親に対して批判的な意見を言わせていただきます。このご両親の関係者の方がいらっしゃったら、ゴメンナサイなのでございます。

まず、この両親、旧約聖書からヒントを得て命名したとか言いますが、そもそも旧約聖書って何語で書かれてるのよ。漢字じゃないでしょ。その旧約聖書を日本語に訳したときに、たまたま「玻」という漢字が使われただけ。しかも、漢字は中国から日本に伝わってきたもの。その伝わる過程で意味や字形が変わってしまったものも少なくない。ましてや、日本で生まれた和製漢字なんてのも多い。そこまで考えていくと、「玻」という漢字と旧約聖書とのつながりを考えるというのは、ほとんど意味がないということ。つまり、ちょっとドギツイ言い方をすると、「旧約聖書をヒントにして、こんなオシャレな名前を考えついた私たちって、かっこいい!」という、ご両親自身でさえ気づいていない潜在意識が、この命名の裏側に感じられるのでございます。

世の中にあふれかえる全ての単語には、「他と区別する」という意味合いの「記号性」を持っております。子供を、産まれた順番に「一郎、次郎、三郎…」なんて命名するのは、この単語が持っている「記号性」をメインに使用した例でございます。さらに単語には、その記号性に加えて「概念」を持っております。例えば、「愛」という字には「愛」という記号性に加えまして、「愛すること、愛情」といった概念も含んでおります。本来名前というものは他人と区別するために付けるのでございますから、単語の記号性の部分だけを使えば事足りるのでございます。ところが、この考えを極端に進めてしまうと、囚人をすべて番号で管理する監獄のようになってしまう。住基コードがなかなか浸透しないのも、こういった監獄のイメージがあるからでございます。

で、やはり親というものは子供に健やかに育って欲しいもの。「名は体を表す」なんて言いますが、名前の付け方ひとつで、我が子の将来が決定するやもしれません。いい名前を付けてやりたいと思うのは、親として当然でございます。さぁそこで、どんな名前が子供にとって"本当に"幸せかを考えなくてはいけないのでございます。先ほど申しました「名前が持つ記号性」というもの。最近はこの記号性がコンピュータで処理されることになる。ということは、アウトローな文字はコンピュータ処理の過程で変換されない、あるいは当て字を使われるという可能性が高いのでございます。さらに名前というものは、他人が自分の名前を読んだり書いたりすることも多いということも、これまた重要でございます。自分が使っていて不便な名前というのは、他人にもその不便さを感じさせているということなのでございます。つまり、名前の記号性だけを考えると、「シンプル・イズ・ベスト」ということになるのでございます。

一方、深い概念を持つ「深イイ」名前にしたいと思うのは、親心として当然のこと。しかし、やり過ぎると、非常に扱いに困る命名になってしまったりする。記号性の持つ利便性と親が子供に託す概念との間で、どこかベストな妥協点を見つけてやること、それが、きっと子供にとってはいい名前なのではないでしょうかねぇ。冒頭の裁判で争っているご両親、その名前が気に入っているのなら、別に平仮名で「はな」でもいいじゃない。そして、その名前の持つ本来の漢字と意味を、物心ついた頃に親が教えてやればいいこと。さらに、その子供が大人になったとき、芸名だろうがペンネームだろうが、好きなように「玻南」という名前を使えばいい。芸名なら人名用漢字の制約なんて受けないのでございます。小さな赤ん坊に、その子を一生左右する様な重たい名前を付けたがるのは、親のエゴでございます。

さて、ドギツイことをいろいろ書きましたが、もし関係者の方が読んでいらっしゃったなら、ごめんなさい。親が子供に託す気持ちはよく分かるのですが、戸籍のないまま成長していく子供もまた不憫なのでございます。命名に関する法律や人名用漢字というものは見直され、改正されていく方向にあります。また、最近では改名というのはかなり簡単にできる手続きでございます。最高裁まで争う意味があるかどうか、ちょっと考えてしまったのでございます。

名前に関しては、子供の頃ひどく感銘を受けた言葉がございます。故岡本太郎さんの言葉でございます。岡本太郎さんの言葉といえば、「芸術は爆発だ」というのが有名でございますが、ワタクシが聞いたのは「空を飛ぶ鳥に名前がありますか? 野に咲く花に名前がありますか? 名前なんてばからしい」という言葉。何かのバラエティー番組に出ていて「岡本太郎」という名前に関して質問を受けたときに、岡本太郎さんが、なかば怒りながら答えた言葉でございます。このやりとりを聞いて、多くの人は「単なる岡本太郎の奇行」と考えたことでございましょう。しかし、この言葉は「全ての物質から名前という記号性を取り払って、その概念そのものを注目せよ」という意味だと、ワタクシは解釈しております。「名前や肩書きや世間体、社会的価値、既成概念、そういったものにこだわらないように生きていこう」というワタクシの考え方は、岡本太郎さんから頂いております。

そうそう、風俗店のコンパニオンの名前は、概念というよりはむしろ記号性を重視している場合が多いのでございます。漢字を使わずにあえて平仮名を使ったりするのは、より簡単な記号でわかりやすくするためでございます。また、下の名前だけじゃなく姓まで付けていたりするのは、やはり「他と区別する」唯一性を強めるためでございます。こんなことを考えながら風俗雑誌を眺めると、また違った発見が得られるかも知れませんよ。ではでは...


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