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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2009-04-22 愛情飽和度100パーセントの人生

まず、最初にことわっておきますよ。本日は、非常に不謹慎で軽率なお話をいたします。不謹慎で軽率なお話をするとワザワザことわっているので、ワタクシは責任を取ったりいたしません。ですから本日は、不謹慎で軽率で無責任なお話でございます。

では、ひとつ目。和歌山カレー事件の林真須美被告の死刑判決。状況証拠だけで死刑ですか。う〜ん、危険でございますねぇ。この林被告、保険をかけた自分の夫を毒殺しようとした女でございますよ。それほど計算高い女の割には、カレーに入れた毒が致死量も考えない無茶苦茶な量が入れられております。どうも幼稚なのでございますよね。まるで小さな子供が親を困らせてやろうとしているような...ハッ、やめましょうね、この話は。まぁ、この林被告、保険金詐欺とか殺人未遂とかやってますから、いいんです、これで。ただね、日本のマスコミは松山サリンのえん罪事件という大汚点を経験しておりますからね、報道のあり方は、もう少しクールダウンするべきかもと、思います。

さて、ふたつ目。小さな子供の臓器移植が、外国では出来なくなるそうでございます。これってね、「○○ちゃんを助けましょう」とか言って募金を集め、小さな子供が臓器移植を受けるためにアメリカまで行ったりとか、そういうのが出来なくなるのでございますよね。それで、この募金をまねて、架空の病気で募金を騙し集める「死ぬ死ぬ詐欺」なんてのも起きたりしております。さあ、不謹慎なことを言いますよ。あのね、子供ってのは、特に小さな子供ってのは、簡単に死んじゃうものなのでございます。重病を抱えて生まれてくる子供というものは、家電製品でいえば初期不良品。初期不良ならば、交換すればいいのでございます(ア〜ァ、言っちゃった)。

小さな子供が死ぬということは、確かに悲しいことでしょう。でも、それってね、悲しい、悲しいと大騒ぎしているのは大人側でしょ。大人が「子供を失うのが悲しい」と言って、騒いでいるのでしょ。死ぬことが恐い・悲しいと思うのは、大人になって多くの煩悩を抱えているからでございます。小さな子供ほど「本能」で生きております。大人が持つ「生への執着」が、小さな子供にどれだけあるでしょうか? 募金という形で多くの人の手を煩わせ、小さな体に大手術という負担を負わせ、そして時として不幸な結果に終わり、家族は莫大な借金を抱えていくことになる。これを、大人のエゴではないと、言い切れますか?

長く生きたから幸せなのですか? 生まれてすぐ死んだ子供は不幸ですか? 生まれて、たった数年の命しか与えられなかった命でも、その数年の間中、すばらしい愛に抱かれていたのなら、その数年間は愛情度100パーセントの人生でございます。一生のすべてが100パーセントの愛情で満たされているなんて、なんてすてきな人生だとは思いませんか? 愛情飽和度100パーセントの人生、すてきでしょ。

発展途上の国ほど、多産多死型の人工分布になります。小さな子供が簡単に死んでしまうから、母親は犬のようにポンポンと子供を産むからでございます。本来死んでしまったであろう小さな命を、医学の力で救う、それもひとつのあり方でございましょう。でもね、先ほど「初期不良」と不謹慎なことを申し上げましたが、短い命はそれを運命として受け入れ、また新たな生命を育もう、そういった考え方も有ると思うのでございます。小さな命を救うという体制もたしかに必要でしょう。それと同時に、より少ない負担で新しい命を育んでいける、そんな「多産型」へ向かう世の中の体制というものも、重要だと思いますよ。


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